史 跡  下野国分尼寺跡

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国分尼寺(こくぶんにじ)の建立は、奈良時代の天平13(741)年、聖武天皇が国家の平安を祈願し、国分寺建立の

          詔(みことのり)を発したことにはじまります。

国分尼寺は国分寺と同様に国ごとに建てられた官立の寺院で、妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)を根本の教典と

              し、10人の尼が置かれていました。

           下野国分尼寺の伽藍跡は、昭和39年以来4回の発掘調査を行って、その大部分が確認されました。

伽藍地の規模は、柵列(さくれつ)や築地(ついじ)跡の一部が検出されたことにより、東西145.4m、南北167mに及ぶ

          ものであったと推定されています。

  主要な建物の配置は、奈良東大寺の様式を基本とし、南大門、中門、金堂、講堂が南北一直線上に並びますが、国分

         寺においてみられる塔は、尼寺には存在しません。

   伽藍の中心で、本尊を安置した金堂は、間口7間、奥行4間の大きな建物で、床は石貼りになっており、瓦葺(かわらぶ)

         き、丹塗(にぬり)の荘厳(そうごん)なたたずまいを見せていたことが想像されます。

                                                                    昭和40年4月9日 国指定      

            

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